八王子の歴史ものがたり

朝降り出した雪がとうとう・・・積もってきてしまいました。
八王子は山が多いので大通りでも坂道の雪道では車で走るのも怖いです。
さて、本日は車にチェーンをつけて帰れるか?それとも車を置いて
電車・バスで帰ることになるのか、この雪の降り方と帰る時間帯で
決めようと思っております。

前回の雪の時は車を置いて帰りましたが正解でした。
バスの運転手さんでさえ、坂道発進でタイヤが滑っていましたので。

八王子駅周辺の街中と私が住む山を越えた住宅地では同じ八王子
なのに天候の変化があります。
雪の時はもちろん、駅周辺の街中に比べて標高が高いこともあり
5cmくらいは積雪が違います。

そんな私は八王子の住民になってまだ12年目ですが、このような
大雪に遭遇したのは初めてで、雪に慣れない関東人にとっては
雪対策も慣れていなく、先日の大雪でやっと雪靴(雨靴を兼ね
て)を購入しました。雪かき用のスコップはまだ購入していない
ので、通常の大型スコップで雪かきをしました。
こんなにしょっちゅう降る様だと雪かき用スコップも買っておか
ないと、と思いました。

45年ぶりの大雪だったんですね。

45年前の八王子はどんな街だったのかな?

12年の住民としては浅く、まだまだ八王子の知らないことも多く
八王子の古く歴史を少し訪ねてみようと思います。

「八王子の歴史ものがたり その1」

紀元前1万年頃、八王子の先人たちは、タテ穴住居に住み、山川に
鳥獣や魚を求め、大胆な縄目模様をつけた土器を数多く作りだして
生活をしていた。
そして人々が定住して農耕に従事するようになると、大きな集落が
発生し、弥生式土器と呼ばれる繊細な技巧をほどこした土器を用い
いて生活をし、文明を誕生させるようになったという。

日本最初の統一国家、大和朝廷の勢力が関東に及ぶようになると、
八王子は朝廷の屯倉(みやけ)となり「多摩部」となるとともに
大陸の新文化を伝える帰化人たちの姿も見られるようになった。
万葉集に「多摩の横山」と詠われたのが当時の八王子である。

奈良、平安と続いた日本の貴族社会は武士の出現によって大きな
変化を見せ、源平の戦いで源頼朝についた武蔵横山党は、八王子の
支配者であった。やがて鎌倉時代となり、その横山党も、健保元年
(1212年)、北条氏との和田合戦で敗れ、横山庄の支配権は大江
広元に、片倉城を築いた長井氏の手へと移る。
室町時代になるお、大石氏の支配となり、浄福寺城、高月城、滝山城、
永林寺と新城がつぎつぎと建てられ、戦国の世に備えられた。
天文15年(1546年) 大石氏はついに北条氏に降伏。
八王子城が出現したものの、天正18年(1590年) 前田・上杉らの
豊臣軍の攻撃で落城した。
横山党から北条支まで荒々しい武士たちが次々と通り過ぎたのが
中世八王子の姿であった。そのような戦いの時間の中でも、
八王子の人々は産業と文化をたくましく発展させていった。
  ~京王出版 タウンガイドブック 抜粋~

*万葉集* 作者:宇遅部黒女(うぢべのくろめ)
 赤駒を山野にはやし、捕りかりて、多摩の横山徒歩ゆか遺らむ
(あかこまをやまのにはやし、とりかりて、たまのよこやま
 かしゆかやらむ)

 (意味)
 赤駒(馬)を山野に放って、捕まえられず、多摩の横山を
 徒歩で行かせなければならないとのこと

次回は近世八王子を覗いてみたいと思います。