富士森公園の歴史

 今年の桜も見事な咲きっぷりで綺麗でしたね。
 今年は例年になく寒かったせいか桜のお花見を少し長く
 楽しめたような気がします。
 
 桜の名所でもある「富士森公園」には桜の季節には毎年
 多くの人出で賑っています。人が集まるところには活気が
 あって良いですね。また、こちらの公園は体育館や陸上
 競技場、野球場としても多くの方に利用されています。

 こちらの「富士森公園」には戦没者もまつられているという
 のは初めて知りました。富士森公園の慰霊塔のお話です。
 学生の頃、梶井基次郎の小説で桜の木の下には屍体が埋まって
 いるという話を思い出しました。だから桜は美しいんだ。
 という仮想のお話。
 

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 近代国家への道を歩き始めた明治時代。初めての対外戦争で
 ある日清戦争により、多くの命が奪われ、八王子でも76名
 もの尊い命が失われました。この戦争に寄る犠牲者を慰霊
 するため、南多摩部の部長を中心に招魂碑の建設が進められ、
 明治29年4月、富士森の地に「報国忠魂碑」が建てられ
 ました。さらに日露戦争では、214名もの方が犠牲となった
 ため、新たな忠魂碑も建てられ、富士森公園は戦争犠牲者の
 招魂の地となっていきました。
 こうした戦争による犠牲者を出しながらもわが国は、ついに
 アメリカとの戦争に突入し、敗戦の色が濃くなった昭和20
 年8月2日未明、八王子を襲った大空襲は、市民の尊い
 450人もの命を奪うこととなりました。その後、八王子市は
 明治以降に戦争犠牲者となった方を弔おうと昭和40年に
 慰霊塔を富士森公園内に建設。平成22年度までは、この
 慰霊塔の前で追悼式を執り行っていました。
 現在、追悼式は毎年4月に八王子駅南口のオリンパスホールで
 行われています。
  ~郷土資料館資料参考~

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 花見やスポーツに訪れた際に、公園内に建つ慰霊塔に立ち寄って
 戦争の悲惨さを胸に刻み、平和に関して改めて考えてみる良い
 きっかけになるのではないでしょうか。
 
 平和を祈りたい気持ちになります。