近世八王子の歴史ものがたり

前回、八王子の先人たちが築きあげた八王子の様子から
戦国時代の中世の八王子の姿を見ていきました。

 * 前回の記事はこちら ⇒ 八王子歴史ものがたり その1

近世八王子では、
八王子城の落城は、また新たな八王子の誕生となります。
横山・八日・八幡の三宿へと城下の中心も移され、毎月
4日・8日には賑やかな定期市も開かれるなど、戦乱の
世の終わりと同時に、八王子の人々は活気に満ちた庶民
生活を展開するようになりました。
また同時に、徳川家康の手によって、甲州武士団が八王子
に移り住み、『八王子市千人同心』として町建設に重要な
役割を果たすようになりました。

近効農村で作られる八王子織物は、江戸市民のもてはやす
ところとなり、横山商人は幕府の御糸物御用を命じられる
ほど発展しました。しかし、一方では、時がたつにつれて
千人同心たちの困窮が目立つようになり、遠く北海道開拓
に出向くという出来事があったのもこの近世の時期であった
ということです。
  ~京王出版 タウンガイドブック抜粋~

★千人同心★
~八王子を守り幕府に尽くした千人同心の働き~
千人頭1家あたり10人の組頭と90人の平同心からなる
組織が「八王子千人同心」という。
これは徳川家康が江戸に入る際に組織され、半農半士の
武士集団で、関ヶ原の戦いを前にした時期にはその数が
千人以上になったという。
三代将軍、徳川家光が亡くなった後は、幕府からの「日光
火の番」を務めた。

~千人同心のゆかりの地~
◎「宗格院」(そうかくいん)
JR西八王子駅北口側から約8分くらいの場所にあります。
(千人同心組頭で蘭学者だった「松本斗機蔵」等の墓が
ある。浅川の氾濫を防ぐための石見土手もここにある。)

◎「興岳寺」(こうがくじ)
またさらに歩くこと約12分千人町1丁目にあるお寺。
(官軍「坂垣退助」に日光を明渡して、八王子で自害した
石坂弥次右衛門義礼の墓がある。)

◎「信松院」(しんしょういん)
西八王子駅南口から東にある台町3丁目の寺院。
(武田氏滅亡後に甲斐から八王子に逃れ、信松尼となった
武田信玄の娘、松姫が、晩年この地に草庵を結んだ。)

◎「真覚寺」(しんかくじ)/「高宰神社」(こうざいじんじゃ)
西八王子駅南口から約15分の万葉公園側の散田町5丁目の
お寺と神社。
(真覚寺は古くから「蛙合戦」で有名なお寺。本堂右手に
は千人同心が厚く信仰した高宰神社がある。

◎「興福寺」」(こうふくじ)
西八王子駅南口から高尾駅のに向かった東浅川町にあるお寺。
(千人同心組頭中村家などの墓がある。入口にある見事な
しだれ桜が素晴らしい。)

幕府からの拝領屋敷が建ち並んでいたという西八王子駅
近くの千人町や同心らが眠る墓地を訪ねて江戸幕府ととも
に生きた同心たちに思いを馳せて、尋ねてみてもよいかも
しれませんね。

◎「千人同心屋敷跡碑」
江戸時代、町の治安維持や将軍上洛のお供などに携わった
千人同心の屋敷跡碑が追分町交差点近くに建っている。

千人同心屋敷跡碑

千人同心屋敷跡碑